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坂井三郎氏の「左捻りこみ」研究 (その2) Flare 2010/09/12(日) 12:00:35

坂井さんの表現にこだわってみる Hanzo 2010/09/12(日) 12:01:48
ベテランの技に関する記述1. 70年代 Hanzo 2010/09/12(日) 12:06:20
ベテランの技に関する記述2 90年代 Hanzo 2010/09/12(日) 12:06:58

坂井さんの表現にこだわってみる
 Hanzo  - 2010/09/12(日) 12:01:48 -

引用なし
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   坂井さんは、ご自身の著作や、雑誌記事、インタビューなどで、何度も左捻り込みについて言及されています。捻り込みをかけられたほうの経験も、そして、ご自分で研究して自分のものとした経験も両方について書かれており、坂井さんのキャリア、文章力などを考え合わせても、左捻り込みに関する記述としては、群を抜いて稀有のものであるとと思います。

しかし、一読すると書かれた時期によって内容が矛盾するように思われるところがいくつかあります。また、書かれていない空白部分があるようにも思えます。
口伝は至難、言葉で表現することはできないとされた左捻り込みですから、そのようなことも十分考えられます。

坂井さんがなくなられた今、左捻り込みについて研究しようとすれば、坂井さんが遺された左捻り込みに関する文章や口述の一つひとつが、重大な意味を持っています。

したがって、坂井さんの表現の、細かいところまでこだわって検討してみる必要があると思います。矛盾に見えるところが、かえって別の意味をもっているのかもしれません。

このツリーでは、坂井さんの著作、記事、談話などで、左捻り込みに関するものを抜粋転載し、みなさんと論点を検討していければと思います。」
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ベテランの技に関する記述1. 70年代
 Hanzo  - 2010/09/12(日) 12:06:20 -

引用なし
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   以下[ ]内は引用者Hanzoの注釈です。
[坂井さんのベテランの技に対する評価は、時期によって大きく異なります。ただし、当然なんですが、非常に重要でかつ興味深いのは、両方の時期に共通し坂井さんの目線が捻り込みを受ける側に立っているということです。]

『続・大空のサムライ』1970年光人社 

「ある神業を得んとして」のなかの一節 P81
[1938年2月 佐伯航空隊 戦闘機実用機教程1ヶ月のあと、3ヶ月の延長教育期間,使用機種九○艦戦,先輩の黒岩利雄一空曹との単機空戦訓練のはなし]

 ・・・高度1500mで、一番機[黒岩機]にならって反転し向いあった。反航だから、距離はあっという間につまって、おたがい真横になった。相手が左急旋回に移ったのを見ながら私は左いっぱいに翼を傾けると同時に、操縦桿をいっぱいに右手で引っぱりながら、左垂直旋回でまわりこんでいった。<中略> 私はけんめいに黒岩機にくいこもうとがんばってまわりつづけた。ひとまわりふたまわりめまではどうにか食いついた。エンジンを全力にして、なおもまわりつづけた。私はもう夢中だった。
 すると、黒岩機が旋回しながら急に機首を下げた。私もすかさずつっこんだ。すると、今度は黒岩機が急に機首を持ち上げて斜め宙返りをはじめた。一瞬おくれて私もこれにならった。ここでは私が少しくいこんだと思った。距離50mで、私は機首をあげていった。そこまではよかった。ちょうど黒岩機が宙返りの頂点に達するまえ、機首をたてながら急に翼を左へ大きく傾けたように見えた。それは変な操作であった。
 私は、何がなんだかわからないようになったが、おなじような操作でついて行こうとした。すると、どうしたというのか、一瞬、黒岩機が見えなくなった。私は前のめりになったような気がした。頂点をすぎると、機首が下がって降下をはじめる。加速のつくのを待って、ふたたび操縦桿を引っぱって斜め宙返りをしようとしたが、黒岩機が急に見えなくなった。まさかあそこで墜落したのではあるまいが…。一瞬、私はそんなことを考えながら、宙返りの途中から横の運動にうつし、つづいて水平飛行に移った。そしてあたりを上下左右と見まわしたが黒岩機は見えない。<中略> 黒岩機はいつどうして操縦して回り込んだかのか、私の直後30mの位置にぴったりとくいついているのである。

[ 坂井さんは着陸後、黒岩一空曹にこの格闘戦の謎を質問しますが、黒岩空曹は『どこでどうする、ということはなかなか教えることができん。盗むんだよ。』とかわされます。]

30分ほど休憩して、こんどは望月空曹長に格闘戦をならった。結果は、もちろん私の完敗であったが、こんどは上昇垂直旋回中に、いつのまにか、ずるずると真うしろにつかれてしまった。私は必死になって操縦桿を引きつづけたが、望月空曹長の旋回半径は、私よりずっと小さかった。

「大空に生きんとして」のなかの一節 P126〜
[1938年4月頃、大村航空隊 使用機種 九五艦戦又は九○艦戦]

 その後、私は大村航空隊で、格闘戦では、とうじ日本海軍一といわれた半田亘理一空曹に空戦を教わったが、この人の技は、今まで経験したことのない術であった。宙返りに近い縦の運動の格闘をやっているうちに、いつのまにか私のが機がひょろひょろと前にはみ出してしまうのである。なんかいやっても同じ結果である。
 「この技はな、左ひねりこみといってな、宙返りの頂点あたりをたくみに利用して、相手の内側、内側と入るように舵をつかうのだよ。つまり相手の旋回半径より小さくまわるようにするんだ」
 もちろん、りくつはそのとおりである。格闘戦では一旋回に要する時間ではなくて、いかに旋回の半径を小さくするかということが問題である。

 <中略>[このあと飛行機の失速についての記述が3ページにわたって続きます]

 こうして、格闘戦をおぼえてから二年もたつと、カンのいい者は自分の飛行機の動きを、だいたいつかんでくる。三年めにはいると、大半の者が腕に自信をもつようになり、十年選手のベテランたちも、そう簡単には勝てなくなってくるものだ。
 私もまたその例外ではなく、三年たって飛行機の動きがようやくわかってきたように思えた。
 そして、格闘戦において、どうして相手の内側をまわるようにするか、ということを真剣に考えた。そして戦闘機はスタントにおいて、失速速力の少しまえで、最大限に舵を使えば、最小半径で旋回できる箇所があることを発見した。<中略> さらにその舵のきかせどころをどこへもっていくか、これは大切なポイントだと考えた。

 <中略>[背面時、宙返りの頂点でパイロットの勘がいかに狂うかというはなし]

 自分がもしも敵機につかれた場合、どこで相手を振りはなし、そして逆に食いこむか、それには、だれもがカンを狂わす背面近くでやることだ。<中略>

 そして、相手を左斜め宙返りに引きこんで、これから背面に入るというところで、操縦桿を左にたおして引きつけながら、背面左バンクにあわせて踏みこんだ左足を瞬間、逆に右足にほんの少し踏みかえることによって、飛行機は螺旋状に右に急速に向きをかえ、相手より小まわりすることを発見した。<中略> 黒岩機や半田機の魔術も、おそらくこの技にちかいものであったことはまちがいはない。

[この節引用終わり]
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ベテランの技に関する記述2 90年代
 Hanzo  - 2010/09/12(日) 12:06:58 -

引用なし
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   『零戦の運命』1994年講談社 P136.L11〜

 <前略>・・・しかし、ここではお互いに同じ型の同じ性能の飛行機に乗り、同じ燃料を使って操縦するのだから、理論から言えば燃料を使い果たすか地面につくまで勝負はつかないはずなのに、これがあっさり若年者の負けとなって勝負がついてしまうから、若年者からみればまことに不思議としか言いようのないベテランの操縦術であった。
 <中略>
 対等に立ちあがって、相手より旋回半径を小さくすれば食い下がれることになる計算である。ところが、相手より気速を大きくして相手より外を回っても追尾できる計算が成り立つ。要は一旋転に要する時間を相手より小さくすれば追尾できるということだ。
 <中略>
 同じ条件で立ち上がった後、自分有利の相手機の後方に接近、食い込むためには、相手機より円運動の弧を小さくすれば良い。これが道理であるが、このベテランたちは、まったく違う飛び方をして、60〜70メートル後方から追尾する私たちを宙返りの一回転終わったところで逆転する技を持っていた。この技は、追尾する私たちより円を小さく回る飛び方ではなく、完全に大きく回ることによって宙返り一回転の終わりで逆転する飛び方をしたのである。
 そこでその飛び方である。
 元来、宙返りの操縦法は、急降下後の宙返りに必要な気速を得た時からの機の引き起こしにはじまり、真円を描いて元の引き起こし点に戻る。これが宙返りの操縦法である。しかし、ベテランパイロットは、もっとも苦手とする宙返りの頂点、ちょうど勘の狂う背面でそれまで引きつけていた操縦桿を少し緩めて背面水平飛行を行うのである。
 正直な宙返りの弧を頭において追尾し、背面となった後続機は、この時背面のまま追尾しようとするが、機はすでに気速を失いかけた背面失速の状態に近づく。そこで仕方なく操縦桿をさらに引きつけて機首を下げ、早く気速をつけて正常の宙返りの引き起こしをしてしまう。
 一方、意図的に背面飛行状態を引きのばし、変形の降下に移り、引き起こそうとする(相手)機の後上方にもぐりお先にどうぞとばかりゆっくり追尾する。これで一巻の終わりということである <中略>
 さて、ベテランは追尾してくる相手後続機をどのようにして背面で失速近くに引き込み、フラフラにしたか。
 これは意外と簡単な操作でできた。
 まずベテランは宙返りに必要な気速をつける時、正直な相手のようにエンジンを全速にせず、70%ぐらいに利かせて宙返りに必要な気速をつけ、そのまま急速に円運動の頂点、背面近くまで機をひっぱり後続機を確認しながら正しい釣り合いのとれた背面飛行状態に入り、ここで一気に今まで溜めておいた30%の余力のエンジンをふかす。
 その結果として、後続機を背面飛行で引き離し正直に飛んでごまかされた後続機がつられて追尾を続けようとしても、エンジン出力に余裕がないのでフラフラの失速直前になって仕方なくリーダーより小回りをして機首を下げ、降下に移る。「お先にどうぞ」と先行させて、自分はゆっくり追尾に入る。この追尾に入り始める微妙な操縦法をいつの間にか人呼んで捻り込みの技。
 もちろん、これは実戦なら背面になる前に後続機に射たれてしまう邪道であるが、その頃のベテランたちは、このようなずるい飛び方を編み出していたのである。
 <中略>
 複葉の90戦、95戦時代には、操縦を誤って機を失速させ錐揉みに入りかかっても悪性の飛行状態からの回復は比較的容易であった。だから先のような先輩たちのごまかし操縦も効き目を現したが、高性能の96戦時代からは錐揉みも悪性となったので、このような邪道の操縦法は当然行われなくなり、真剣に格闘戦を研究するようになった。その結果、96戦を以ってする本物の捻り込みの技が開発された。
 しかし、この技には厳密にいうと、ベテランたち一人ひとりがその技の利かしどころを工夫したので、それぞれに個性があり味が違っていた。

[この節引用終わり]
>したがって、坂井さんの表現の、細かいところまでこだわって検討してみる必要があると思います。矛盾に見えるところが、かえって別の意味をもっているのかもしれません。
>
>このツリーでは、坂井さんの著作、記事、談話などで、左捻り込みに関するものを抜粋転載し、みなさんと論点を検討していければと思います。」
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